ギャンブラーの誤謬
ギャンブラーの誤謬
ベイズの定理と事前分布まで
ベイズの定理は次式で表される。

ここで、θはパラメータベクトル、xは観測値ベクトルとする。p(θ)は事前分布といい、θの信念の度合いを示す。ベイズ統計では、事前確率のことを信念の度合いまたは主観確率と表現する。主観確率とは過去に観測したデータを用いたり、適当な関数を置くことが可能である。これはあくまで「信念の分布」であることから主観的な確率分布を定義することができる。また、事前情報が無い場合や事前分布の設定に際して根拠がない場合は、無情報事前分布が用いられる。無情報事前分布は、次回以降に述べることにする。
主観確率と客観確率という対となる言葉がある。客観確率とは、物事の起こりやすさを表した確率のことであり、これは中高時代に習った。かみ砕いて言うと、無数に試行を繰り返して得られた事象の起こりやすさを表している。これに対し、ベイズ統計では、客観確率ではなく、主観確率に基づく推定を行っていることが特徴である。ベイズによる推論では、各々の事象を真としたうえで、その確率分布を用いることで真である可能性が最も高い答えを見つけることができる可能性がある。すなわち、事前情報をもとにした主観的な推論というわけである。
ところで、「ギャンブラーの誤謬」を知っているだろうか。コイントスにおいて、例えば直前5回の試行においてすべて裏が出たとする。このとき、6回目の試行において表が出る確率が高いのではないかと誤った推測をしてしまうことである。しかし、コインの表裏は「同様に確からしい」という前提があり、前の試行がその後の試行に影響を与えない(独立)ことからも、この推測は誤りだと言える。
このような考えは、客観確率に基づく推論である。これは、コインの表裏の出る確率は同様に確からしく、独立であることから、表裏共に1/2の確率であるという前提がある。
しかし、このような考え方も可能である。これまで5回のデータに基づいて、裏の出る可能性が高いと踏み、6回目のコインは裏が出ると予測する。これはまさに、主観確率に基づく考えであると言える。ベイズ推論とは、このような事前情報に基づいて尤もらしい推測を行うことである。
まず初めに、ベイズ推論の理解のために次のような例題を考える。
<例題1>
ある町で新型コロナウイルスの検査を行った。感染者のうち、陽性および陰性は次の通り。
|
θ/X |
検査結果=陽性 |
検査結果=陰性 |
|
感染 |
0.7 |
0.3 |
|
非感染 |
0.01 |
0.99 |
(参考: https://yasabi.co.jp/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%BC%8F/)
今、事前分布として、感染率が0.1%であるとする。すなわちp(θ)=0.001とする。このとき、p(Θ=非感染者|X=陽性者)(=陽性者のうち非感染者である確率)を求めよ。

高校レベルの問題である。ベイズの定理自体も高校ですでに学習済みである。何の気なしに代入して、答えを求めていたかもしれないが、

となり、陽性者のうち、ほとんどが偽陽性としてカウントされてしまうことを示している。これは、とりわけ感染者が少ないときに起こりうる現象である。すなわち、新型コロナウイルス蔓延初期のPCR検査においても、偽陽性の人が多数出てしまい、適切な対応が取れていなかった可能性もあるということである。
今回は偽陽性の議論が主題ではないのでここまでにしておく、しかし注目してほしいのは、事前分布の取り扱いである。今回事前分布として感染率を用いた。この感染率は何かしらのデータを引っ張ってきて感染率を定義したものと思われる。このように、事前分布とは、過去に取得したデータや根拠を持った何かしらの確率分布を用いている。これこそ信念の分布であり、主観確率をよく表していると思う。
次回は、尤度関数について学んだことを記述する。
(追記)
主観確率という言葉について
先ほどの感染率のデータ然り、事前分布に用いるデータは過去のデータを参照することもある。過去のデータ自体は「客観的な」データであることから主観確率の「主観」とは異なるのではないかという意見もあるが、これについてはベイズの名付けた「主観確率」という名前そのものが誤解を生んでいるようである。
頻度主義について
頻度主義では、確率は「ある事象の起こりやすさを示す」としたが、ある母集団の平均値や分散は固定したうえで、その中から発生する事象の起こりやすさを考えているのに対し、ベイズ推論においては、母集団の平均値や分散などのパラメータがある分布を持っているとしたうえで、観測値ベクトルがどのような母集団から得られたものかを考えている。(これについては後日詳しく議論する)
参考文献
速習 ベイズの定理-「推論」に効く数学の力 James V Stone
ベイズの公式:陽性反応!!あなたが本当に感染している確率は?【やさしい統計学11】
https://yasabi.co.jp/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%BC%8F/
2025年1月18日 閲覧
化学系が情報を学ぶ意義
「スマホに使われるな」
これは、スマホが世に出回った当初、よく言われていた言葉である。スマホを賢く利用するべきであり、スマホに左右されるなという意味である。近年、AIの普及により、「AIに使われるな」という言葉が少しずつであるが流行り始めているような気がしている。そこで、AIを使いこなしている人とAIに使われている人の違いは何かを考えてみた。
「AIを使いこなす人」
AIにコーディングをさせる場合を例にとる。コードに使用されているアルゴリズムを把握し理解したうえで、自力で書きこなすことは大変な時、そのタスクの一部をAIに代替させる。これは、AIを使いこなしている例だと言える。または、デバックの一部をAIに任せる。これもAIを使いこなしている例と言える。総じて言えることとして、AIを使いこなす人とは、プログラム上で何が行われているのか、その一部始終を追えている人のことを指していると考える。
「AIに使われる人」
端的に言えば、AIを使いこなす人の例で挙げた逆がAIに使われる人ということである。具体的には、アルゴリズムなどを把握せずにただAIに任せてプログラムを記述する場合である。つまり、意思決定のみを人間が担当し、技術的な部分をAIに丸投げをする、これがAIに使われる人と考える。
ここまで、AIを使いこなす人と使われる人の違いについて整理した。私個人の意見として、AIに使われる状態は好ましいとは言えない。ゼネラリストを目指すのであればそれでも良いかもしれないが、スペシャリストを目指すのであれば、AIに使われているだけの人間が「データサイエンスやってます」面をしている状況がひどく滑稽に見える。
それでは、化学系の人が情報系の領域をかじることの意義について述べる。化学系の人間が、自身のもつ専門性を捨て、情報系の人と同じ土俵で戦うことは戦略的に有効ではないと考える。しかし、化学系として得た学びに情報を統合させることで、新しい知見を生み出す余地というものはまだ多く残されているように感じている。
化学と情報の融合領域:ブルーオーシャン
ブルーオーシャンとは、従来存在しなかったまったく新しい市場を生み出すことで、新領域に事業を展開していく戦略のことを指す。化学系の学科にもすでに情報系の研究室や研究領域は存在する。しかし、これは融合しているとは言えないと思う。あくまで実験系/計算系という研究室に分かれているにすぎず、ごくまれに実験と計算の二刀流の研究室が存在するといった具合である。したがって、実験と計算の二刀流で研究開発を行う領域というのは、近年ようやく生まれつつあるという状況であり、まさに化学と情報の融合領域にこそ成長の余地が大きく残されているのではないかと考える。
化学と情報の融合領域の具体例
では、具体的に化学と情報の融合にはどのようなものがあるか、「化学における情報・AIの活用」(日本化学会)によれば、機能性高分子やたんぱく質の自動探索と合成の自動化や実験主導のマテリアルズインフォマティクスなど、手を動かす実験から分析、新規材料の提案までをAIによりオーダーメードで行うものがある。かつては実験系/計算系と研究室が分かれており、それぞれが独立した研究を行っていたが、実験から解析までをAIの制御によって研究の効率化を図る、これこそが化学と情報の融合領域ではないかと思う。
今後求められるもの
では、化学系を学んできた人間は今後、AIによって仕事を奪われてしまうのか、それは個人によるというのが答えになる。もう少し具体化すると、AIを使いこなす人間であれば、AIによって仕事を奪われるといったことはなくなると思う。AIの制御を行うには、「何を制御するか」が大切になる。具体的には、温度や撹拌速度、気圧などがある。こうした反応収率に影響を与えるようなパラメータのことを「特徴量」と呼ぶ。化学徒は、学部や大学院の授業において、反応に影響を与えるパラメータすなわち特徴量についてしっかりと学んできたはずである。これは、化学を学んできた者が持つ強みであると考える。この強みを生かして情報の枠組みを取り入れることで、新しい領域の開拓やイノベーションの創出ができると考える。
機械学習を学ぶ上で…
実際、機械学習を行うツールは世に広く出ており、初学者向けのコーディング本も続々と出ている。化学系の人間が機械学習など情報を生かした研究開発を行いたければ、見よう見まねでコーディング本を書き写すというのも手段の一つではある。
初学者として、機械学習がどのようなフレームワークでできているかを把握するうえで、とりあえずコードを見よう見まねで書いてみることは、有効な手段の一つである。実際に自分自身も、研究室に配属された当初、ディープラーニングの本を見よう見まねでコーディングをし、機械学習の全体像についてぼんやりとは把握できた。
しかし、コーディングをしてゆくにつれていくつかの壁にぶち当たってしまった。それは、正しくコーディングができていても学習を行う際に途中で学習が進まなくなってしまう問題(勾配爆発・勾配消失)や、ハイパーパラメータチューニング、高度な学習を行う上で必要な数学的背景など、自身の研究に落とし込むうえでカスタマイズが必要になるが、その際に応用が全く効かなくなってしまっていた。
この問題を解決するため、機械学習に必要な統計学などの本を読み漁ってみると、高度な深層学習やデータ分析には、その背景を成す数学的基盤を作ることは非常に重要であると感じた。そして、このような数学的背景を用いて、機械学習における諸問題を解決していることに気づけた。(まあ言われてみれば当たり前ではあるが。)これは、AIを使いこなすだけではなく、AIを作るうえでも非常に大切ではないかと考える。
以上から、機械学習を高度にカスタマイズするためには、背景にある数学(統計学)については、しっかりと学習しておくことが必要であると感じ、今後暇なときに、統計学について学んだことを日常生活の実例に当てはめながら考察を進めてゆきたいと思う。
(たまにコードも書くと思われる)
繰り返しになるが、Chat-gptにコード丸投げなど論外である。何もしていないも同然である。情報も扱える化学系として差別化をしてゆくためには、数学的背景から丁寧な学習が求められる。
群論(自分の解釈)
きっかけ
工学部の化学系でも分子の対称操作などの群論がらみの話がでてくるものの、「まあ、群論はわからなくてもなんとかなるからとりあえずやり方を覚えといて」と雑に扱われたことで、やり方はなんとな~くわかるものの、群論そのものは全く理解できておらず、そのことにどこかもどかしさを感じていた。そこで、一般教養科目のゼミ形式の授業において群論の内容を扱ってくれるということなので、そこで群論をかじってみることにした。ここではそこで得た自分なりの解釈を書き残していきたいと思う。
一応補足説明をする可能性はあるものの、線形代数の対角化までは理解しておくと読みやすいと思います。
今回は、「群論とは何か?」まで述べることとした。数学の専門家でも何物でもないので、何か間違いや補足がある場合はコメント欄に書いていただけますと助かります。
内容をまとめた資料


簡単に言えば、ある計算法則が成り立つような文字の仲間ということです。ただその計算法則も何でもよいかと言えばそうではありません。すなわちある計算法則のうち公理1と公理2を満たす要素が無い場合、これはGは空集合となりますから群ではありません。
しかし、ある計算法則があり、公理1、公理2を満たすような仲間があればそれらをまとめて群と呼ぶことができます。


以下の証明のポイントとしては、ある数aに対応する右単位元が、群の任意の元bの右単位元であることを述べています。任意のbに対して成り立つというところがミソです。
続いて左単位元について同様の議論をしたのち、右単位元と左単位元っておんなじだよね~と証明しております。

続いては、十分性の証明です。この証明におけるポイントは、任意の元bを決めれば、baも任意に決まる数であり、これを任意の元として新たにa'と置いているところです。
また、一意性の証明は、まず一意でないとして、x_1,x_2を定めたうえで、それらが一致することを示すことで、一意性の証明を行っております。このロジックは線形代数の教科書でもたびたび登場するものなので、ぜひ使えるようになっておくと良いかもしれません。




ここで群には二項演算が存在すると述べましたが、この回転操作が二項演算であります。行列を思い浮かべると分かりやすいかもしれません。


左右反転させたとき、ことなる頂点の組み合わせは以下の6通りです。三角形のなかに示された状態は、初期状態eに対し、作用させる数字を指しています。

回転操作が二項演算になるイメージがつきにくいと思いますが、以下の場合を見ればちゃんと二項演算になっていることがわかると思います。つまり、下記に示された座標に変換する行列をそれぞれ定義できますよね?

